絵文字と Google の姿勢

Unicode の仕様バグを Unicode ML にポストして議論した ことのある立場から、思ったことを少し。

ここまで述べたGoogleによる絵文字提案をみて、Googleストリートビューで世界中の路地裏にカメラを入れて猛反発を受けたことや、Googleブック検索で世界中の本をスキャニングしようとして著作者達とトラブルになったことや、あるいはGoogleマイマップで「公開」をデフォルト設定にしたことで、知らずに個人情報を世界に公開してしまうユーザーが続出したことと同じ、なにか一種の強引さ、押しつけがましさを思い起こしませんか。つまり絵文字をめぐるGoogle提案は、じつのところGoogleという企業の社風を抜きには考えられないように思えるのです。

絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」第4回--絵文字が引き起こしたUnicode-MLの“祭り”

Google のこういう姿勢は非難されることが多いように思うけど、ぼくはすばらしいことだと思う。

というのは、イノベーションとは常に既存のものを押しのけて現れるものだからだ。お利口なイノベーションなど、歴史上一度もあった試しはない。

物事の善し悪しは、議論を引き起こしたかどうかではなく、それが有効に機能するかどうかで判断されるべきだ。

ものすごく有効な変化は、必ず議論を引き起こす。議論を起こさない変化は、単に効果が小さいか、影響を受ける人が少ないだけであることが非常に多い。

良識とは、受け身に立たされた側の云々することなのだ。行動の主導権をにぎった側は、常に非良識的に行動するものである。

塩野七生「海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈下〉」